27.花×震
人生の4分の1を花屋で過ごした僕ですが、
って言う文句を思いついて書き出したけどめっちゃその道のプロ感がある。
僕と同い年なら6年間なにか続けてきた事があるとこういう言い方もできるから中々日本語って便利なものだなと思いました。
決して詐欺の啓蒙をしようと言う気は無いのでこの辺にしておきますが、改めて長い間働かせてもらったなと。
最初の頃は驚かれていたものの、今は花屋のえんちゃん、花屋のふかざわというのが友達の間では馴染んできた肩書きになりました。
色々な想い出はあるもののやっと右左が分かりつつある、と思ったら年内には今のお店を卒業です。
6年もあったらもっと花について勉強しておいた方が良かったなという後悔もあれば、この6年で小さい事では動揺しない(してても見せないスキルを身につけた)、俺を見て花を買ってくれる仲良いお婆ちゃんと出会えて幸せだなんて思ってます。
6年かけて花言葉なんてひとつも覚えてないし、未だにこの花ってどの位もつかしら?って質問には答えられないし、それでもお兄ちゃんが選んでくれた花長持ちしたわよとかこの前の花束喜んでもらえたのよとかこのお客さんは確か簡単な包みでよくてこの長さの花瓶でこういう束ね方がよくて領収書はここの宛名でとかって覚えてきた。
あっという間だったなぁ。
やっぱりやってきて思うのが、一つのことを5.6年やり続けるって我ながらすごい事だし、そのくらいでやっと周りに認知されて自分でも自信は持てないにしろ意見は言えるようになって来るもの。
自分には今のところ踊りと花に関してはそれが当てはまるかな。もう一つなにか突き詰めれば、よく言われる100万分の1の人材になれるかなって思う今日この頃です。
ただ意図して5.6年続けられるものを作るのは難しくて、例えばその他に好きなお酒や本やラーメンやサウナや洋服やらは中々100分の1にもなれてない状況です。
今挙げたもの達は愛好家の分母がずば抜けて多いジャンルでもあるから、5.6年好きでいてもその密度をだいぶ上げていかないと100分の1に滑り込めない所ってのがあるとは思う。
そんなちょっと意識高い事を書いてしまいましたが、今回は花が好きな話を書くつもりでした、忘れかけてた。
ここからはちょっとクサいかもしれないけどつらつらと書き連ねます。
ここまでが前置きだよ、飽きたら帰ってね。
まず、花っていいよね(小並感)
いや、本当にいいと思う(小並感)
特に男の身で生を受けた僕からすると女性に花をあげるというのはかなりキザなイメージがあったけど、花屋で働いているってだけでかなり渡しやすくなったし実際に渡す心理的ハードルはかなり低くなったかと。
好きなものあげるんだから何が恥ずかしいの?みたいな感じ。
最近プリザーブドフラワーとかでおしゃな花の使い方は増えたものの、未だに造花の花束をあげるっていうと不粋な印象があるしそもそも意味がないと言われるし、生花にリボンを付けて渡すっていう何千年前からやってたんだって手法が効果的な数少ないものだと思います。
これはいくつかの理由があると思ってて、何個か挙げてみると、
花=綺麗なものという小さい頃からの刷り込み
花=色鮮やかで匂いも良く動物を惹きつける
花=枯れるもの
この3つなんかはパッと浮かぶところだと思います、まだ何個かは浮かびそうだけどここら辺はみんななんとなく理解してくれそうな所かなと。
まず刷り込みの話は、みんなチューリップの歌を幼稚園保育園で歌い、小学校の夏休みにアサガオを育てて絵日記を描いて、中高の青春ソングでどの世代にも”さくら”という題名のエモソン(エモいソングの略)を聴いてきたと思うので、なんとなく花は美しいものだという刷り込みがされてきたと言っても納得出来るのではないでしょうか。
次に花というか植物がそもそもが繁殖のために動物の視覚に取り入れやすい色味や匂いに進化してきた物なのでそりゃそうだと。ここからはググってくれれば出てくる花の名前を挙げてみるので画像を見れば分かりやすいかも。ほら、めんどくさくなって聞き手に投げたとか言わないの。
ハチが真っ黄色の菜の花畑に蜜を取りに行くなんて光景は日本人なら誰でも想像できるだろうし、色味で言うならば日本にも昔からあるショウブや、毒草ですがトリカブトなんかの青みを帯びた花、南国など暖かい地方ではハイビスカスやブーゲンビリアなんかの赤い花。また海外で地名は忘れましたが夜行性の”ガ”が多く生息している地域では月光を良く反射する白い花、確かネモフィラ(インスタ映えするネモフィラ畑は青紫系が多いですが白もある)とかキキョウっぽい花が多く繁殖しているなんて話も聞いたことがあります。
要は目に付きやすい色味に進化してきたんだから色彩を見分けられる人間にとってはそりゃ綺麗に写ると思う。
匂いに触れなかったのは言語化が難しいってのと花屋にいると花の匂いが段々と臭く感じてくるというあるあるから敢えて省きました。
また3つ目の枯れるものっていうのは人間が生死を理解できるので、儚さという概念について美徳を感じるっていうのがでかいかなと。特に東洋では仏教徒がわりかし多いので諸行無常という価値観が生活の中にあるというのが大きいかなと思います。
後はモノとして考えた時に失せ物、消え物として捨てられるってのはある意味利点だなとも感じます。
お世辞が言える人間にとっては、あ〜!この前もらった花すごい綺麗”だったよ”!って言える。これが1番の理由だとすら思う。
まあまあ、未だに花を贈るという事に関しては色んな理由があるとして、とにかく綺麗なものは綺麗、良いものは良いって感性が素敵だと思います。
ちょっとは好感度あがったかな。
最後に僕が好きな花はシャクヤク、デルフィニウム、そしてもちろんグロリオサです。