16.好×嫌
今まで分かりにくかったからタイトルからなんとなく内容を理解出来るようなものにして行きます。はい。自己満だから別にいいんだけどね、なんとなく。
好きと嫌いっていう判断軸ってめっちゃ大事だと思っていて嫌いなことするより好きなことしていたいよね。
これは当たり前な事で。
これから仕事もすることになるんだけど俺は好きな業界に入れそうだし、というのもかなりニッチだから競争率が低い業界だから就活もそんなに苦労しなさそうって意味で。
例えばダンスでいうとプロになりたいという分母はそんなに多くはないと思うんだけど、食ってけるまでの収入にたどりつくまで、てか日本で踊って食うってところがピンポイントに競争率が高いから中々バイトしながら〜とかじゃないと厳しそうな現状。
こう考えると俺はそこまでダンス好きにならなくて良かったなって思うし、というのも他にも好きな事があるしそれが出来るだけのお金は欲しいから。
逆にダンス好きになった人は別に苦にならない環境でもあるからいいと思うし将来性を考えると革命が起きにくいから危ういとも思う。
まあ好き嫌いで今、な判断をするとこんな感じなんだけど好き嫌いの物差しって実はとても脆いもので。
キリスト教なんかの教えだと愛、慈愛なんて言葉が出てくるんだけどもそれは表裏一体で憎しみとも直結してる感情で。
好きなものが嫌いになったとか逆も結構日常的にある事で。
なんで今日この記事を書こうと思ったかというと、インスタのストーリーで流れてきた曲を聴いて好きだったけど今聴くと悔しい思いがこみ上げてきて。そっから連想して好きな人が嫌いになった事とか思い出して、さらに連想してあんなに嫌いな風呂とサウナに今こんだけハマってるってすげえって感じて。
すげえんだけど怖いんだよね。俺の感情で怖いじゃなくて、脆いという意味での怖さ。
だから違う判断軸を持つのが大事だと思った。好き嫌いはある意味で間違ってると思う。
というか判断軸を持つって結局自我でしかないんだよね。今までの積み重ねといえば聞こえがいいんだけども結局自分の手の届いた範囲の結果と経験であって、必ずしも正しいとは限らない。
ここに関してじゃあどうするの自分なりの答えは持ってるつもり。
後はやるだけなんだけどね。
頭が痛くなってきた。
飲みすぎだね。